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自愛を自愛って呼ぶのやめよう

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「自愛ってよくわからない」

「やっぱ自愛ですかね・・・」

こんな声がよく聞かれるのは、自愛という言葉が悪いんじゃないか?と私は睨んでいます。

その「自愛」というのが行動をさしたり状態をさしたり考え方をさしたり、ごちゃごちゃしているからわかりにくい気がします。

また「自愛はメソッドなんかじゃないんだよ」と語る輩がいるから余計にわかりにくい。

そのわかりにくい自愛をほかの言葉で例えるように分解してみた。

 

適切な自尊心で満たされている状態  <自愛が“できている”状態、状態としての自愛>

一番肝心で大事な意味としては、この状態としての自愛でしょう。

私はこの「適切な自尊心」という言葉がとても好きです。

自己肯定感が低いことに悩んでいる人は、その問題がわかりやすいので気づきやすいのです。

しかし自己肯定感が「あるはずだ、なのにおかしい」という人は、問題に気づきにくいのに生きづらさを感じている。

後者が「自愛ってよくわからない」に陥りやすいタイプと思います。

「自分のことは好きだし、でも自分を愛するってわからない」といった具合に。

自尊心を過信している状態と言えばいいのでしょうか(もうその時点で自尊心ではないのだけど)

明らかに低いだけが問題じゃない、むしろキャパオーバーしている自尊心は気づきにくい厄介者。

そういった意味で、等身大の自尊心をきちんと自覚し、持つこと。また、それを自分のペースで更に大きく育てていけていること。

そんな状態が「自愛ができてる」ってことなんです。

 

この状態なしには、以下にあげる思考や行動としての自愛の効果は得られにくい。

逆にこの状態にさえなってしまえば、そのほかの自愛の効果も

メソッドの効果も面白いくらいに感じられるようになります。

 

自分を否定しない、責めない思考 <思考としての自愛>

「自分を愛する、がわからない・・・」という人でも

とりあえず取り組めるのが「責めない」「否定しない」という自愛。

ひねくれ式アファなんかもこれと同じものと思います。

 

自分を他人のようにいたわる、丁寧に扱う <行動としての自愛>

状態としての自愛が整っていない人にとっては効果が一番わかりにくいもの。

「自分をあなたの大切な人だと思って行動する」、というのが基本で

着るものや食べるものなどを適当に選ばず、大切な人にどんなものをあげようかな?

という観点で選びます。

上原愛加さんのプリンセスレッスンなんかはこの自愛中心に書かれていますね。

 

自分を”愛する” <感情としての自愛>

 これも「よくわからない」という人が多い自愛のひとつ。

自分に「愛してるよ」と言うなどして、自分への愛情を感じるものです。

私自身も状態の自愛ができてはじめて効果を感じました。

そこに至らないと、自分に向かって「愛してるよ」と言ってもピンとこないんですよね。

自分が「好き」と、自分を「愛している」は、似て非なるものです。