「諦める」の本当の意味を知っていますか?
私の大嫌いな言葉の中に「諦める」という言葉があります。
「全て叶えられる」ということを知っているし、大切にしていることなので、そんな言葉は使いたくないのです。
でも、この「諦める」ということの大切さをようやくわかったんです。
「諦める」の本当の意味を知っていますか?
そこにネガティブな要素はない
嫌われる勇気でここの話にズバリ触れています。
諦めるということは、どこか悲観的な意味を感じますが実はとても前向きで生産的な行動なんです。
そもそも「諦める」という言葉が持つ意味というのは「明らかに見極める」というもの。
由来は仏教用語だそうです。
しっかりと物事を見極めて、受け入れることです。
つまり自己受容。
「自分は自分でしかないんだ」ということを受け止めること。
今のありのままの自分、目の前に起こる状況も全て受け入れる。
否定をしない。
ウサギとカメの、カメはウサギになれないんです。
あきらめた(=明らかに見極めた)結果、手放した思いや執着というのは、そもそも心から求めていないことであったりします。
それを叶えたところで、あなたの気持ちは満たされない。真に求めているわけではない。
子どもがスコップがほしい、シャベルがほしいと訴えるのは本当にそれらが欲しいからではなく、母親の愛情が欲しいから。
自分にとって本当に大事なものを「見極める」。
でも、カメであることを受け入れてしまえばカメとしての無限の可能性があるんです。
だから”あなたのまま”行きたい方に進むのみなんです。
あなたのままであれば、無限大。
自分の嫌なとこありますか?
やきもちやき。
いじっぱり。
人とくらべる。
自分をだめだと思う。
くよくよする。
卑屈になっちゃう。
だらしない。
友達が少ない。
親友と呼べる人がいない。
体型が嫌。
顔が好きじゃない。
悩みは、尽きないもの。
これらを「なんとかしたい!」と、誰だって思いますよね。
コンプレックスと呼べるものなんかも。
直さなきゃ、と思うよりも前にそれすら受け入れてみる。
それでこそ私なんだな、と愛おしさまで感じられたら受け入れられた証拠。
印象的だったこととしては、私深い仲の友達がいないことを気にしていたんです。
周りにはずっと仲良しで固まってる子たちもいるのに、私は環境が変わると仲が良かった子でも、アッサリ関わりがなくなっちゃうんですよね。
それを気にしていて、無理して誰かをご飯に誘ったりしたけど苦痛でした。
それがようやく「こういう友達関係ドライなのが私なんだな」って受け入れられるようになったんです。
そうしたら、ほんっっっとに仲良しの友達ができました。
今は同じ環境にいるわけでもないのに、1分単位でLINEのやりとりしちゃうくらい気が合うんです。
受け入れたら全てが始まるって、こういうことなのか!!と体感しました。
好きにはなれないけど「これが私なのだ」って思えたら勝ち。
コンプレックスがどんどん好きになるってこういうことだと思います。
少し立ち止まって、いろんなこと「あきらめて」みませんか?