嫌は好きの輪郭を明確にする、見られることからの脱却
書いてみたら全然まとまってなくてすみません。
まとまらなかった理由も、この記事を読めばおわかり頂けると思いますが。
しばらくブログをお休みしている間、いろんな気づきがありました。
とことん自分の気持ちに素直になるっていうのはすごく大事だと思います。
引き寄せの世界に出会ってしまったが為に、文句やネガティブな捉え方に蓋をしてしまいがちでしたが
素直な気持ちは単なる感想であり価値観であり、良いも悪いもないのです。
「やりたいことって何だろう」「好きなことって何だろう」と、見えなくなっている状態であれば
これは嫌、という角度から余分な要素をそぎ落として「好き」を見つけるのがいいと思うんです。
というか、意欲的な人は基本的に文句たれが多いと思うので 笑
得意分野のはずなんですよね。
私が最近強く思うのは、このブログで自分の「体験」を具体的に語りたくはないということです。
誰かの励みにはなるだろうし、具体的内容の方がたくさんの人が読んでくれるだろうと思っていました。
書いていた当時はそうしたくて書いていましたが、いまは全くそう思えません。
考えは全部全部アウトプットしたいけど、なぜか自分のプライベートなことは書きたくない。
これは理由がありますがここでは割愛するとして。
あとは「読まれようと思って書きたくない」です。
以前は多くの人に読まれよう!!とあれこれ頑張っていた自分がいました。
でもそれを意識したとたん急に苦痛になるのですよね。
筆が進まないというか。
キャッチーなタイトルを考えたり、画像を選択したり、読まれるためにやっていましたね。
いま思うとそれらの行動、全て「痛い」としか思えないのです。笑
もうそれがアレルギーになってしまって、
はてなブログのトップページに陳列されている「〜しちゃった話」やら「〜に必要な3つのこと」なーんて踊り文句に嫌悪感が止まらないのです。笑
見られていると意識すること、見る側に媚を売ろうとする姿勢が嫌になっちゃいました。
それはもう仕事にも影響してしまい、笑
実は一番仕事でやりたかったことを叶え、プライベートでの幸せも叶えたら
見てもらってナンボの世界もお腹いっぱいになってしまい、サクッと引退してしまったんです!
産休育休で戻っておいで、と優しい言葉をいただいたのですが
いまは子どもにたっぷり時間をあげたいので、退職という形を選びました。
なので正しくは「元女子アナ」ですね。(タイトル変えなきゃ)
ただ、見られることから卒業して、自分の目にどう映るかを意識したとたん
このただ見られるだけの仕事、という所から一歩踏み込んだ所までいけました。
前の記事で挙げた「状態の自愛」が進むと、別にやりたいことじゃなくても何でも楽しくなったんですよ!
これは目からウロコでした。
そしてその状態になると、不思議なことに本当にやりたい仕事が舞い込んでくるんですよね。
見られる、って潜在意識とか自愛とかに大きく影響してくると思います。
かといって、見られることを意識しませ〜〜ん!私は自由で〜〜す!!とムキになっていると、かえってめちゃくちゃ意識してしまうことになり
他人に迷惑をかけてしまうような人もいます。
自由で"なければならない"という、矛盾のしがらみですね。
そうじゃなくて、自分に夢中だから見られることへの期待が自然と手放される。
いまこうやって自分の気持ちを自由に、書いている人が読みやすいかどうかなんて御構い無しに書いているいま、とーーーーっても気持ちいいです。
このテーマはけっこう深いので、もう少し今度書くと思います。
自愛を自愛って呼ぶのやめよう
「自愛ってよくわからない」
「やっぱ自愛ですかね・・・」
こんな声がよく聞かれるのは、自愛という言葉が悪いんじゃないか?と私は睨んでいます。
その「自愛」というのが行動をさしたり状態をさしたり考え方をさしたり、ごちゃごちゃしているからわかりにくい気がします。
また「自愛はメソッドなんかじゃないんだよ」と語る輩がいるから余計にわかりにくい。
そのわかりにくい自愛をほかの言葉で例えるように分解してみた。
適切な自尊心で満たされている状態 <自愛が“できている”状態、状態としての自愛>
一番肝心で大事な意味としては、この状態としての自愛でしょう。
私はこの「適切な自尊心」という言葉がとても好きです。
自己肯定感が低いことに悩んでいる人は、その問題がわかりやすいので気づきやすいのです。
しかし自己肯定感が「あるはずだ、なのにおかしい」という人は、問題に気づきにくいのに生きづらさを感じている。
後者が「自愛ってよくわからない」に陥りやすいタイプと思います。
「自分のことは好きだし、でも自分を愛するってわからない」といった具合に。
自尊心を過信している状態と言えばいいのでしょうか(もうその時点で自尊心ではないのだけど)
明らかに低いだけが問題じゃない、むしろキャパオーバーしている自尊心は気づきにくい厄介者。
そういった意味で、等身大の自尊心をきちんと自覚し、持つこと。また、それを自分のペースで更に大きく育てていけていること。
そんな状態が「自愛ができてる」ってことなんです。
この状態なしには、以下にあげる思考や行動としての自愛の効果は得られにくい。
逆にこの状態にさえなってしまえば、そのほかの自愛の効果も
メソッドの効果も面白いくらいに感じられるようになります。
自分を否定しない、責めない思考 <思考としての自愛>
「自分を愛する、がわからない・・・」という人でも
とりあえず取り組めるのが「責めない」「否定しない」という自愛。
ひねくれ式アファなんかもこれと同じものと思います。
自分を他人のようにいたわる、丁寧に扱う <行動としての自愛>
状態としての自愛が整っていない人にとっては効果が一番わかりにくいもの。
「自分をあなたの大切な人だと思って行動する」、というのが基本で
着るものや食べるものなどを適当に選ばず、大切な人にどんなものをあげようかな?
という観点で選びます。
上原愛加さんのプリンセスレッスンなんかはこの自愛中心に書かれていますね。
自分を”愛する” <感情としての自愛>
これも「よくわからない」という人が多い自愛のひとつ。
自分に「愛してるよ」と言うなどして、自分への愛情を感じるものです。
私自身も状態の自愛ができてはじめて効果を感じました。
そこに至らないと、自分に向かって「愛してるよ」と言ってもピンとこないんですよね。
自分が「好き」と、自分を「愛している」は、似て非なるものです。
潜在意識は魔法だよ
ずいぶんとご無沙汰になってしまいました。
全快の更新から物凄い勢いで状況が変わり、突然理想的な状況が差し出され
一気に叶えたいことすべてを叶えました。
ただすべてがスムーズにいったわけではなく、とてもとても大きな学びがありました。
渦中にあるとき、私は「この時間は自分のために使いたい」と、そう思いました。
全てを叶えてから、気楽に振り返ろう。
誰かに伝えるのはそれからでいい。
そう思って、自分に集中していた状況です。
本当に人生で一番叶えたかったことが一気に叶ったので、夢でも見ているかのようでした。
そしてそれらが今、毎日の生活にだんだんなじんで、穏やかな幸せな日々が続いています。
今の穏やかな状況ならきちんと振り返られるなーと思い、こうやって記事を書いている次第です。
すべては「潜在意識」との出会い。
私だけの考え、感性で自由~に語りたい。
そんな満たされた気持ちで、これから記事をアップしていきたいと思います。
私が言いたいことは「潜在意識は魔法だよ」ということ。